オーストラリアの首都

オーストラリア留学中のみなさんこんにちは。楽しく英語の勉強されていますか?

突然ですが、オーストラリアの首都がどこかお分かりですか?

オーオストラリアといえば、シドニーやメルボルン、ブリスベン、パース、アデレード、ゴールドコーストなどの都市の名が思い浮かびますが、首都は?と言われるとなかなか出てきませんよね。
首都はキャンベラです。

場所はというとシドニーとメルボルンの中間、オーストラリア南東部の内陸部に位置します。森林など自然保護区に囲まれていて「ブッシュキャピタル」というニックネームがついています。街の中心にはバーリグリフィン湖があり、湖畔に印象的な近代国会議事堂、先住民の美術コレクションで知られるナショナルギャラリーなどの美術館があります。有名な美術館や博物館が数多くあり、 政治や歴史、美術などの芸術を学べる場所として小さいながらも洗練された街です。
首都としては地味な街なイメージですが、アートや食といった部分ではたくさんの魅力を秘めているように思います。

なぜ少し地味目のキャンベラが首都になったかというとそれは独立した際の出来事に関係しています…。

現地住民であるアボリジニと、1788年以降にイギリスから入植してきた人たちの国家であるオーストラリアは最初イギリスの植民地のような扱いでしたが、1901年に独立してオーストラリア連邦となりました。独立に際して首都を決めることになったのですが、シドニーとメルボルンのどちらにするか長らくの両者間で言い争いが続いていました。 どちらも「我こそがオーストラリアを代表する都市である」と譲らなかったようです。

いつまで経ってもどちらも譲らないので「じゃあ2つの都市の中間に首都を作ろう」ということになり、それこそが今のオーストラリアの首都・キャンベラです。 なんだか実家の離れた新郎新婦がどちらも地元で結婚式を挙げたいと言って、協議の結果中間で結婚式を挙げるかのようなどちらも得しないという話に似ているように思ってしまいました。

しかしキャンベラが首都に選定された当初は何かがあった訳ではなく、むしろ何もなく誰もいませんでした。 そこに1913年から本格的に都市を作っていく運びとなったのです。

しかしそれから数十年の間、大恐慌や世界大戦などもあってキャンベラの開発は遅々として進みませんでした。 粗末な建物が閑散と並ぶ様は「まるで村のよう」と評され、首都としての最低限の体裁すら保っていなかったと言われています。

これではダメだと1957年に国立首都発展委員会を設立し、本格的にキャンベラの整備が始まりました。 それから60年でオーストラリア第8の都市にまで成長したのは大きな発展と驚かれていることでもあります。

歴史的背景によって首都になったキャンベラは今日までに大きく発展し進化しているというところです。キャンベラは首都機能に偏重した街であり、キャンベラ市民の多くが官公庁に勤めています。 施設も国会議事堂を始めとした官庁、造幣局、国立大学、美術館、図書館、博物館、劇場と、まあ街の傾向が何となく見てとれると思います。

今回はちょっと硬めの内容のポストとなりました( *´艸`)次回は何かレジャーについてポストしたいと思います。

ではみなさん、楽しく留学生活をお過ごしください。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です